埼玉北部十二景 [埼玉北部12景]
旧埼玉北部ホームページに2006年1月から12月迄の1年間、作家関田毎吉氏(熊谷市在住)のご協力によりスケッチ画「埼玉北部十二景」を掲載しました。ホームページリニューアルにつきブログに再掲載します。(文とスケッチ・関田毎吉)
金讃神社多宝塔雪景
金讃神社の大鳥居をくぐり歩を進めると、間もなく右手に小高い台地に建つ“多宝塔”が瀟洒なたたずまいをみせる。国指定重文建造物としては埼玉第一号である。
“琵琶湖”のほとりに建つ石山寺多宝塔に次ぐ日本の名建築ではあるまか。“建築家”を志す学生はもとより埼玉の誇る建築物が極く身近に見学できることはなんと幸せなことか。
又、拝殿を通りすぎ急坂を登ると地すべりの跡生々しい“鏡岩”、さらに岩場を登ると上毛三山はもとより関東平野が一望できる。
「“多宝塔”に魅せられて、しばらくスケッチに出かけた時の作品の一つである」
荒川の白鳥
白鳥に魅せられて十数年来、毎年何度川本まで足を運んだことか。
今年(2006.1.26現在)は160羽前後と昨年より多く、担当者は東北地方の寒波の影響ではないかという。2月から白鳥の北帰行が始まる。10〜12・3羽が一つのグループ。リーダーが上昇気流を捜し、若い白鳥も何度となく訓練に入る。リーダーは目的地まで無事にグループを連れていく責任があるという。
白鳥の大敵はネコや犬、それに網、釣り針。いつか北帰行の白鳥をねらいテレビ局や心ないカメラマンがフラッシュや音を出して旅立図の撮影を試み、しばらく荒川から白鳥が姿を消したことがある。今はイーゼルを立てて白鳥図を描けないのが残念。白鳥と対岸の風景のコントラストが何とも絵心を誘う。
最近は昼時、荒川大橋附近まで白鳥が飛来して市民を楽しませている。
宮塚古墳
旧熊谷市にあって唯一の国指定史跡、宮塚古墳のあるあたり“山王塚”が広瀬地区の地名ともなっている。古墳が点在し、古代に思いを馳せながら何度となくスケッチを試みている。ただ残念ながら新幹線の高架が古墳群の北を走るようになり、山王塚の眺望は一変した。本当に残念でならない。
私が宮塚古墳を20号の作品として作画を試みていたらその絵が欲しいと、いま近くの山王食堂に飾られている。
下野上神社
芽吹きから新緑、天下の名勝─“長瀞”延長4km─国指定は大正13.12.9。
岩上を歩くのも良し、上長瀞からライン下りを楽しむのも良し、岩と向きあってスケッチも又楽し、荒川、長瀞に沿って咲きほこる桜のトンネルは見事。
私は退職後、何度“水辺から荒川を描く”をテーマに作画を試みたことか。“長瀞”は私にとって得がたいモチーフとなっている。
平山家住宅
外観もさることながら内部の造りがすごい。民家の構造・生活が一目で解る。匠の秀でた技に改めて誇りと敬意を表したい。
この日、新緑の季節、開け放たれた部屋の隅々まで見ることができラッキーでした。平山家を守っている奥さん、毎日拭き掃除に半日はかかるという。
国指定とはいえ補助はわずかであると、以前、当家の御主人に聞いたことがある。並大抵ではない御家族の苦労を思い、スケッチしながら感謝の気持ちを絵に託した。
荒川ライン下り
思い切って荒川をモチーフに、右岸と左岸から、熊谷から上長瀞まで描いたことがある。春の新緑、秋から冬景、そして盛夏も、岩をテーマとすると作画の意欲をそそる。
絵は初夏の上長瀞の岩場、水辺からライン下りの風景の作画を試みているが、ここは長瀞ライン下りの第一の難所?、二人の船頭さんが必死に舟を操り、客は水しぶきの中ビニールシートを覆いそれでも時折、歓声の声を聞くことができる。
熊谷の夏まつり
熊谷の「うちわ祭り」の名で呼ばれている夏まつりは、毎年7月20日から3日間、山車・屋台12台余りをくり出して行われている。山車が勢揃いして行なわれる叩き合いは関東一の祗園まつりといわれるほどの盛り上がりを示し、祭り最終日は昼から17号国道も歩行者天国となり、ここにどっと人が押し寄せ、近年ますますまつりを楽しむ人が増えてきている。
絵は昨年最終日の叩き合い見物の折、外灯の明かりを頼りにスケッチしたものである。
龍泉寺観音様
熊谷で唯一の山、三尻の観音堂の裏手の小高い観音山に“一等三角点”があり標高83.3m、ちなみに熊谷中央公園入口付近の標高は27.8m(中央ライオンズクラブ寄贈)、市職員によると熊谷界隈はもっと起伏に富んでいたという。
観音山を背にした観音堂に魅せられ、何度となく足を運びスケッチし、時に50号の作品を描いたことがあるが、今は屋根がビニールシートで覆われ茅葺きの美しさがみられないのは残念でならない。
この堂の東に龍泉寺本殿があり、渡辺華山による松図格天井画が描かれてあり、県指定となっている。
熊谷寺
参道に立つと眺望が開け、正門の奥に本堂の大屋根がみえる。熊谷直実(くまがいなおざね)の墓所“熊谷寺”。直実が平敦盛を討った後、世の無情を悟って仏門に入り、法然上人のもとで修行を積み蓮生坊と称したという。
然し、史実は謡曲や歌舞伎の語りとは別な展開を示しているようです。(「しんぶん赤旗」2006.5.13付を参照下さい)
今年は直実没後800回忌、子孫が集い熊谷寺で墓参法要を行ない、熊谷の地名となったともいえる“熊ん堂”などを見学したと報じられている。
福川の四ツ手網
私の大好きな絵のモチーフ、利根川に合流する手前の四ツ手網。春によし、秋によし冬によし、また,朝から日没まで、空と水面、刻々と表情が変わる。
今、ここも河川のよごれと四ツ手網を操る技の人も高齢化して後継者がない。小屋も近々回収されるという。
このあたり、利根川に合流する水門があり、グライダーの練習場、近くに荻野吟子生誕の葛和田の地があり、年何回か福川の四ツ手網体験イベントを行えば、他には例のない熊谷妻沼の観光スポットになるのではないか。
浅間山のみえる風景
私の家から荒川左岸河川敷まで十分足らず。冬よく晴れた午前中、荒川の水辺に立つとどこを切り取っても絵になる眺望が開けている。
荒川大橋右手の山並みの向こうに、ひと際目を引くのは白銀の“浅間山”。私にとって大切な作画スポットの一つではある。
赤城山の眺望
子どもの頃からなれ親しんできた赤城山は、スケッチする私にとって手強い相手。利根川堤防を行きつ戻りつ何度“赤城山”に挑戦したことか。17号バイパス旧岡部町の道の駅から右折し、ほぼ直進し利根川右岸の堤防測道に車をとめ構図を探った。
Posted by 地区委員会 at 21時57分 記事URL